第7章 選択肢

彼は入院生活の一部始終をラインでこまめに伝えてきた。
ナースとのやり取り、外出先であった事など、とりとめのない事を話すようになった。

その日食べた物、外出先で見つけた風景の画像を送り合った。


退屈な入院生活を埋めるように、それは毎日続き、私は、彼からの返信を待ちわびた。

 

彼はありとあらゆる癌に効くと言われるものを試していた。
サプリの箱が、部屋に高く積み上げてあるところや、1日に飲む十数個のサプリを並べてある画像を送ってくる事もあった。
他にも、ラドン温泉やプラズマ療法、テラヘルツなど、癌を治すためにネットで情報を集めて、仕事の合間をぬっては、それらを受けるために、入院中もよく外出して飛び回っていた。

 

そして、2ヶ月が経ち、彼が治療を終えて帰ってくることになった。

 

久しぶりに会った彼は、わざと明るく振舞っているように見えた。


「元気そうだね。」

私が言うと、彼は少し首を傾げた。


「ありがとう。そう言ってくれる人、あまりいないんだ。仲が良かった人たちもみんなオレを腫れ物に触るみたいに扱う。でもルーシィには、いつも元気をもらってる。」

彼は、以前はよくしていたSNSへの投稿も、ほとんどしなくなっていた。
彼は、友人の態度の変化に敏感になり、つき合いも自ら遠ざけてしまっているようだった。
仕事の同僚には、ほとんど病気の事を話していなかった。

2カ月の治療を終えたにも関わらず、数値は以前よりも良くなかった。

 

精密検査の結果が、よっぽどショックだったのか、「最近、笑えなくなった」と彼が言った。
 
その日は、気持ちが前向きになれるように、わざと冗談を言い合った。

 

 彼は鹿児島から帰ってきても、相変わらず病気が見つかる前と同じ生活を続けた。

その上、自分の仕事に対して、とても誇りを持っていた。そして、人一倍強い責任感も持っていた。
病気になったからといって、全てを放り出して自分の治療に専念するという考えは、彼には、なかった。
母親の介護、掃除や洗濯、生活のために痛み止めを飲みながら、仕事も続けていた。

そんな彼を、少しでも元気づけたいと思い、ちょうど彼の誕生日にプレゼントを用意した。
リザードフラワーをあしらった写真立てだった。
 
「これ、なに?」
「だって、誕生日でしょ?」
「なんで、知ってんの?ま、いいか。ありがとう」
彼は、照れ臭そうに言った。

「たぶん、3週間ぶりくらいに笑った。あ、後ろのやつが、はしゃいでる。オレが人に物を貰うところを、初めて見たって。」
 
彼の後ろには、相変わらず見えない何者かがいて、時々彼に話かけていた。
 
「そういえば、仕事でもプライベートでも、人にあげるばかりで、貰ったのって初めてだ。」

 

彼は笑うと、子供みたいな顔になった。

 

「いつも不思議に思う。どうしてなの?
出会ってからまだ日も浅いのに、こんな風に親身になってくれる人って、そういないと思うんだ。オレはルーシィに、たいした事してないのに。」

 

彼の薄い茶色の目が、まっすぐにこちらを見ていた。

 

「たぶん、前世で‥‥。」

「前世?」

「そう、前世で私、ミッキーに、いろいろとお世話になってるんじゃないかな?
ほら、前に言ってたでしょ?
私たちって家族だったり、友達だった事もあったって。
だから今世では、恩返ししなきゃいけない気がするんだよね。」

「オレのせいで殺された事もあるのに?

まあでも。確かに僕らって何度も一緒に生まれ変わってるのかもしれない。家族だったり、夫婦だった時もある。」
 「夫婦?」

「そう。でもルーシィは、ちょっと違うかな。ルーシィは、仲間だ。」

「そっか。」

 

私も、彼とはソウルメイトだという確信があった。

けれど彼は、私を女性として見てはいなかった。

分かり切っていたはずなのに、私はその言葉に思わず傷ついてしまった。

 

このまま、時間が止まってくれたらいい。

何も起こらなければいい。
彼の病気の進行も止めて。


ずっとそばにいたいと、願ってはいけないのだろうか。
なぜ、彼が癌にならなければならなかったのだろう。
なぜ、彼なのだろう。

 


その日の終わり、家族が寝静まった静寂の中で、涙がとめどなく溢れ、どうしようもなかった。

 

眠っている息子。布団をかけ直す時、息子の温もりと匂いが、自分が母である事を思い出させた。

息子は、中学生になったばかりだった。
同い年の子供たちよりも、のんびり屋で気が優しく、まだ幼さが残る。

 

夫は、別れるなら息子は自分が引き取ると言っていた。
 だからせめて、この子が中学を卒業するまでは一緒にいたかった。けれど。


 胸が痛んで、心が2つに張り裂けそうだった。

 

彼は今、独りで病気と向き合っている。

そんな彼を、放っておく事が出来なかった。

 彼との精神的な関係性が深まるにつれ、私は重い罪悪感を抱えるようになっていた。

 

彼を助けたいと思う気持ちと、家族を大切に思う気持ちの狭間で、ただ運命の波に翻弄される海の藻屑のようだった。

 

幾つになっても心許ない息子を、自ら手放すのか。

癌で苦しむ彼を脇目に、自分は守られた環境で、幸せなフリをして過ごすのか。

どちらを選んでも、私は自分を許せないような気がした。