第9章 神託

夏が終わり、金木犀が香る季節になった頃、彼はもう一度、鹿児島に温熱療法を受けに行く事を決めた。

1度目の鹿児島行きを聞かされた時は、彼の回復を応援する気持ちで送り出せたのに、今回は、素直にそうなれない自分がいた。
 
もしかしたら、このまま彼に会えなくなるかもしれない。
そんな不安が心のシミとなって、黒く影を落としていた。
 
「鹿児島に行く前に、もう一度会っておきたい」 と、メッセージを送ると、
「店に行くよ。」と返ってきた。


その日の彼は、ラフなスウェット姿だった。
もうしばらく、スーツは着ていなかった。
体重が落ちて、サイズが合わなくなっていたからだ。最近は、仕事も休んでいるようだった。
 
彼は、出会った頃より随分と痩せた体を見せながら、 「どう?ちょっとモデルみたいで、かっこいいだろ?」 と、心配する私を笑わせた。


マッサージは、痛みのために長時間のうつ伏せが出来なくなり、常に体勢を変えながら施術するのが当たり前になっていた。
 
その日は、ヤングリビングの原液で使えるアロマを持って来て、背中に塗ってほしいと言った。
彼のお気に入りは、セイクレッドフランキンセンスだった。 その精油は、彼の痛みを緩和する事が出来た。他にもラベンダーをよく使っていた。
 
脊柱脇に精油を落として、指で痛むポイントを指圧するやり方を見つけた。 そのやり方だと、うつ伏せでなくても出来た。
 
彼はまるで、自分の体を使って、アロマの効能や新しいやり方を私に教えてくれているようでもあった。
 
 
 
その頃、再びアシュタールが高知にやってくることになった。

彼は、ちょうど鹿児島行きと重なっていた事もあって、今回はセッションを受けられなかった。
その代わり、
「アシュタールによろしく言っといて」
と笑った。

彼が前回のセッションで、アシュタールからどんなメッセージをもらったのか、詳しく尋ねた事がなかった私は、その時、初めて聞いてみた。

「オレ、プレアデス人だったらしい。それに、スターシードだって。記憶ないけど。」
 
「へえ。そうなんだ。私もプレアデスから来たんだって、アシュタールが言ってた。
もしかしたら、その当時から知り合いだったのかな?」
 
初めてプレアデスにアシュタールが来た時、出迎えたうちの1人が彼だった。

彼は最初、アシュタールを海賊だと勘違いして、高圧的な態度をとっていたらしい。
 
アシュタールは、その時の彼を「とても偉そうだった」と表現したようだった。
 
彼は、アシュタールの宇宙船を操縦させろと言い、それからはアシュタールの船の良いエンジニアになった。
 
アシュタールを出迎えたもう1人は女性で、アシュタールは彼女の事を「サマンサ」と呼んでいた。
「それ、私だったら笑うよね」

私が冗談で言うと、彼は肩をすくめた。
 
「さあね。そこは記憶ないから、何とも言えない。」
 
そして急に、声のトーンを落とした。

「考えてみたら不思議だよね。
ルーシィに出会ってから、すぐに癌が見つかった。
前世からの縁とはいえ、ルーシィのサポートには、本当に感謝してるよ。
 
でも、オレたちの事を、誰が理解できる?
側から見たら、誤解されかねない。
だから前は、人目をすごく気にしてた。
でも、もう誰にどう思われても、構わない。」
 
「私は別に、気にしないけど。」
 
彼は微笑んだ。
 
「ルーシィは、男女を超えた親友だ。」
 
そう言ってから、ゆっくりと立ち上がった。
 
「ありがとう。おかげで楽になった。もしかして、この調子で治るんじゃない?じゃあ今日はこれで。帰って荷造りしないとだ。」
 
「うん。じゃあ、気をつけて。」
別れの時、私は笑顔でいようと決めていた。
 
「また会えるから。」
彼が言った。
 
帰ろうとする彼の背に、私は思いを振り絞るように言った。
 
「ねえ、ミッキー、一つお願いがあるの。」

「なに?」

「ハグしてもいい?」

彼は、少し考えてから、両手を大きく広げた。

私は、彼のすべてを包むように、そっと抱き締めた。
彼の上着のフリース地が、ふんわりと頰に触れた。

彼の体温、
肌の感触、
声、
匂い、
心臓の鼓動、

それらすべてを、自分のオーラに刻み付けるように。
 
その時、彼のハートが閉じているのを感じた。
なぜだろう?
彼は、何を隠そうとしてるんだろう?
 

前回の鹿児島行きの時よりも、私の心は明らかに揺れていた。
彼の体の調子が、どんどん悪くなっていると肌で感じていた。
 
彼を失いたくなかった。
このまま、何も出来ずに終わるのだろうか?
もし、彼が二度と帰って来なかったら?
不安で仕方なかった。
 
眠れない夜を過ごしていた。
その時、部屋の棚の上にあるカードが目に留まった。

そのカードは、「神代の言の葉」という少し変わったカードで、今まで使い方がわからず、ほとんど引いた事のないカードだった。

私は、引き寄せられるように、カードの箱を手に取り、蓋を開いた。
 
開いたカードは、弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)のカードだった。

この女神は日本武尊の妻で、彼の舟を荒波が遮り、旅の障害となった時、自ら海に入り、その海を沈めたと言われていた。


「魂は磨かなければ朽ちる

ただ待っておっても役目は素通りする

本気で名乗りをあげよ

本気を出して生きてみよ

その者が本気を出さなければ、その魂、神からは見えぬ」
 
その女神からのメッセージは、深く私の心に突き刺さった。

命懸けで生きている彼。

それを支えるつもりなら、中途半端な気持ちではダメなんだ。

今までの私は、どこか逃げ道を作っていたのかもしれない。

きちんと自分の足でちゃんと立てる状態でなければ、彼の事を助ける事などできない。

もう迷いはなかった。
私は、彼を最期まで見届ける覚悟を決めた。
 

翌日、何の前触れもなしに、彼がスーツで店に現れた。
オーダーしていた新しいスーツが、届いたようだった。

「今日は、お願いがあってきたんだ。」

彼は、仕事の書類をカウンターの上に広げた。

「簡単なアンケートなんだけど、書いてくれないかな?一応、ノルマがあってさ。鹿児島に発つ前に、いろいろ片付けないといけない仕事もあって、今日は久々に出勤した。」

私は、思いがけない彼の訪問に、少し驚いた。

明日から長期の療養に入り、鹿児島に行く予定だった。もうしばらく会えないと思って諦めていたのに。

「いいよ。ちょうど、いいオイルが手に入ったから、あげるよ。これ、試してみて。消化器の調子を良くするブレンド。」

私は、アンケートを書きながら、彼にプレゼントする精油をカウンターの上に置いた。

「ありがとう。助かった。じゃあ。」
彼は、アンケートを受け取り、店を出て行った。

見送った後で、さっき渡したはずの精油が、まだカウンターの上にある事に気づいた。

まだ追いかければ間に合うはずだ。

店を出て、彼がいつも車を止める地下の駐車場の方に走った。

地下に降りると、彼の背中が遠くに見えた。

「待って。忘れ物!」
私が大声で叫ぶと、声が反響した。彼がこちらを振り返った。

走って息を切らしている私を、彼は包み込むような笑顔で迎えてくれた。
「あ。ほんとだ。せっかく貰ったのに、置いて帰るとこだった。」

精油を手渡すと、彼は
「なんか、ドラマチック」
と言って笑った。そして、
「わざわざ、ありがとう」
と言って手を上げ、去っていった。

私は、彼の後姿を見送りながら、
「いってらっしゃい。気をつけて」
と言った。

ここで泣いてはいけない、と思った。
私が笑顔で見送る事を、彼が望んでいるのだから。